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バグダッドの古代電池

旧バージョンについては以下のページを参照。

バグダッドの古代電池(旧バージョン)

私(ながぴい)は考古学を専門としていないので、この件に関してはノータッチのつもりだったが、クレームが来たのでちょっと調べてみることにした。(この項目を作ったのは私ではないことをクレームをつけてきた人物も知っているはずなので、本来これは筋違いな話である)


今のところ、「見た目が電池だから電池」というのは短絡的な発想であり、電池であったという証拠はないと考える。

なお、「電池でなけりゃいったいなんなんだ?」という問いに対して、私(ながぴい)は答えるつもりはない。なぜなら、私は考古学者ではないからである。

私が「電池だったとは言えない」と考えるのは以下の理由による。

  1. 「見た目が電池だから電池」というのは短絡的な発想。(実は、それほど電池のようには見えない)
  2. 電池として使った形跡がない。そもそもケーブル(電気コード)のようなものが見つかっていない。
  3. 電池としての性能は低い(電圧0.5V、電流約1mA程度)。両極に舌を付けてもたいしてビリビリしない。
  4. 電池としての性能を考慮した構造になっていない。少なくとも電気の原理をよく理解した人が作ったようには見えない。
  5. 並列、直列につないで電流・電圧を向上させようとした形跡がない。電極面積を広げる努力もしていない。
  6. 酸素が必要な反応なのに、開放系になっていない。
  7. 鉄の芯と銅の筒が両方とも壷の中に入っていたという報告は、ケーニッヒによるものしかないようである。
  8. 鉄の芯が入っていないものを電池とみなさなければならない理由は特にない。「使用時のみに鉄の芯を入れた」という説があるが、「使用時のみに電解質溶液を入れればいい」と反駁できる。
  9. ケーニッヒの「電池」についても、発見時に両電極がどういう構造をしていたかはっきりしない。(ツボの外に両極がちゃんと露出していたか?)
  10. 70年以上前の文献のみを根拠にあれこれ議論したところで、所詮「絵に描いた餅」。ちゃんと発掘調査したらどうだろう?
  11. 現在どこでどのように保存されているのかもわからないので、最近現物をきちんと検証した人はいないようだ。

電池説に肯定的な(一定の理解を示す)サイトとしては、以下のリンクを参照。

(注) なお、この補足を書いている最中に「超常現象の謎解き」のサイトで「バグダッドの電池」(記事公開日:2013年6月7日)が公開されたので、そちらも参照。

この補足で集めた情報は大阪大学基礎工学部Problem Based Learningの授業で使用されました。以下が学生のまとめたパワーポイント(一部修正してある)

電池説に肯定的な論文

春田晴郎氏がブログで『Journal of Near Eastern Studiesという雑誌の権威は非常に高いので、そこに載ったKeiserの見解が一番重きを置かれるだろう』と述べているのは、おそらく以下の文献。

↓こちらで読めるようだ。

この文献は電池説に肯定的であるが、電気メッキに使用したという説には否定的。鎮痛等の医療目的で使われたのではないか?という仮説を立てている。

↓こちらでも、Keyserの文献を文字おこししたものを読めるようだ。ただし、「Parthian Battery (Reconstruction)」と書かれたレプリカのカラー写真と「Fig. 4. Cross section of Parthian Battery」はオリジナルの文献には載っていない。

もちろん、「雑誌の権威が非常に高い」からといって、そこに掲載されている論文に書いてあることがすべて正しいという保障はどこにもない。(学術誌の「権威」と論文の質のあいだに相関はあるだろうが)

電池説に否定的な論文

春日氏が『電池説を否定する研究の中では、Paszthoryの論文が最も、というより唯一、重要』としているのは、以下の文献のようだ。

こちらは電池説に否定的な文献。「呪文用容器」説はこちらから来ていると思われる。以下の本に掲載されているので、アマゾンから購入可能。

ここでは、主にこれら2つの文献をもとに考えてみたいと思う。(ほかにあまり文献をみつけられなかった…) もちろん、これだけだと情報量が少ないので、私の考察が間違っている可能性もある。文献等の情報があれば、御教授願いたい。

バグダッド電池の性能

電池を作ること自体は非常に簡単で、たとえば、「くだもの電池」(化学実験 と ナチュラルチーズ作り(中澤克行)のホームページ)のように果物や果汁を使って簡単にでき、アマゾンで「レモン電池実験セット」を購入することもできる。つまり、「当時の文明の加工技術や知見では製造が困難あるいは不可能な物品」というわけでもないので、「オーパーツ」と呼べるかどうかは微妙なところである。

銅と鉄の標準電極電位は、それぞれ0.340Vと-0.440Vなので、バグダッド電池の起電力の理論値は0.78Vとなる。(Paszthoryは+0.354Vと-0.44Vで0.79Vになるとしている) しかし、実際には過電圧(電気化学的分極)のために理論値に達することはない。Keyserの文献によると、レプリカでは0.5V程度の電圧で、電流値は数mA程度になると報告されている。(実際に銅と鉄を使って電池を作ってみると、0.5V、1mA程度であった) 

Keyser自身の実験によると、10%食塩水を電解質として使用した場合、鉄(陰極)がすぐに腐食したため、電圧は1分弱で0.4Vに落ちた。体積比10%の硫酸銅溶液では、鉄(陰極)に銅が析出するまで、数時間0.45Vの電圧が発生した。搾りたてのグレープフルーツの果汁や酢酸溶液(氷酢酸を体積比25%、36%、50%に希釈)では0.49Vで、分極は遅かったとのこと。

Paszthoryは最初0.5Vですぐに0.1〜0.2Vに落ちたと報告している。これは彼の製作したレプリカ(電解水溶液は、10%の食塩に5%の酢酸もしくはクエン酸を加えたものだった)が電極反応に酸素を必要とするためである。電解質中の溶存酸素が不足すると起電力が落ちるので、アスファルトで銅の筒を完全に密閉して外部からの酸素供給を断つと機能しなくなったようだ。(この件については後述を参照)

BBC NEWSの「Riddle of 'Baghdad's batteries'」(Thursday, 27 February, 2003, 13:48 GMT)では「Replicas can produce voltages from 0.8 to nearly two volts」としているが、2ボルトという電圧はバグダッド電池単独では理論的に不可能な値である。よって、文献によっては、電池1個の場合と直列にいくつか繋いだ場合を区別せずに記述しているようなので、注意が必要。

電流値は電極面積や電解質に依存すると考えられるが、バグダッド電池にどんな液体が入れられていたか、まったく分析されていないので、すべて憶測の域を出ない。

現在市販されている単1、単3などの乾電池は、電圧は1.5V程度、容量は2000〜17000mAhもある。(テスターで測ると、最大300mAの目盛りを振り切るほど電流が流れる) これより性能の劣るバグダッド電池1個ではたいしたことはできない。いくつか電池をつなげば、用途も広がるかもしれないが、古代ペルシャ人がそのような繋ぎ方まで発見していたかどうかは定かではない。今のところ、電池をつなぐための電導ケーブルも見つかっていないようだ。なお、ケーブルがなくても直列電池を作ることはできる。電解液を染み込ませたセパレータを挟んで、2種類の金属を交互に積み上げればいい。しかし、バグダッド電池はそのような構造はしていない。

謝辞:電極電位に関しては、UFO教授氏に御助言を頂いた。)

酸素が必要だった

上述したように、Paszthoryのレプリカは電極反応に酸素を必要としたため、銅の筒をアスファルトで密封して大気からの酸素供給を絶つと、すぐに機能しなくなったようだ。

このことを持って多くの文献が電池説に対する反証としている。例えば、「新・トンデモ超常現象56の真相」(皆神龍太郎、志水一夫、加門正一、太田出版、2001/07)の「2000年前のバグダードで電池が作られていた!?」という項目にも以下のような記述がある。

だがキノンや葡萄ジュースといった天然物の酸では、実用として使うには、電流が弱すぎた。電池にするためには、無機物の酸化物の液体が中に入れられていた可能性が高いのだが、もしそうならば、今度は、中に立てられている鉄の棒を固定するため、銅の筒の上面をアスファルトでしっかりと覆ってしまっていることが、問題となってくるのである。

 つまり、発見時そうであったようにアスファルトで蓋をしてしまっては、酸化のために必要な外部の酸素の供給が途絶えてしまい、液体内部に溶けている酸素を使い切ったら、反応はすぐに止まってしまうわけで ある。

この項目では以下の文献を参考にしているが、これを読むと上の記述にはいくつか誤訳があるようである。

  • 「The enigmatic 'battery of Baghdad'」 Gerhard Eggert, Skeptical Inquirer, May/June, 1996, 31-34

まず、この文献には「strong mineral acids」(強い無機酸)は「unknown at that time」(当時知られていなかった)とある。また、Table 1を見てもわかるように無機酸を電解質として使用すると、銅の陽極では水素イオンが還元されて水素が発生し、この反応は酸素を必要としない。逆に、酸素を必要とするのは、当時も知られていた天然の有機酸や酸味のある果汁を利用したときなのである。これらは弱すぎて水素は発生せず、代わりに陽極では酸素と水が反応して水酸化物イオン(OH-)が発生する。(陰極では鉄がイオン化して溶出)つまり、電極反応で酸素が消費される。後述するように、これは酸素消費型の金属腐食と同様な機構で起こる。(Paszthoryの文献では、reduction of oxygenが起こるのはanodeだとしているが、これはcathodeの間違いだろう)

また、硫酸銅水溶液を使用すれば、陽極では銅イオンから銅が生成する反応(Cu(2+)+2e→Cu)が起こり、酸素は必要としない。ただし、この場合、陰極でも銅が析出する(Fe+Cu(2+)→Fe(2+)+Cu)ので、電極反応が阻害されて電池は劣化する。また、甲虫類やムカデから採取したp-ベンゾキノンを使用した場合も、水素イオンと反応してp-ヒドロキノンが発生するので、酸素を必要としない。(ベンゾキノンて、そんなに水に溶けるのかな?)

さらに、多くの類似遺物の銅(ブロンズ)の筒は完全に密閉されたものではなく、薄板を巻いて両端を塞いだだけのものである。この構造だと、筒は液体を密閉することはできず、容器内部全体に液体が広がることになる。(多くのレプリカも銅の筒内部だけではなく、壷の内部全体に液体が広がっている) 酸素は多孔質の素焼きの壷を透過することができるので、必ずしも電池として機能しなくなるわけではないようだ。

よって、この点のみでは電池説を否定することはできないが、酸素が透過すると言っても、素焼きの壺は空気の拡散を阻害するので、電池としてはあまりいいデザインではないのだろう。素焼きの壺に両電極を入れビチュメンで封をした場合、どの程度電池として機能するのか厳密に検証する必要がある。

なお、酸素を必要とする反応ならば、平たい盆の中に電解質を入れ、その液面近くに銅線で作ったメッシュ状の電極を付けたほうが、電池としては良いデザインになると、Eggert氏は述べている。

以上のように、電極反応は複雑なものなので、液体が入っていたとするなら、その液体がなんであったかを明らかにすることが必須である。

謝辞:この件に関しては、皆神龍太郎氏から御助言を頂いた。)

腐食のあと

BBCニュースの記事には以下のような記述がある。

容器には腐食の痕跡があり、初期の試験では、酢やワインのような、酸的な要因の存在が明らかになった。

しかし、どのような試験が行われたか、出典も明らかではない。KeyserとPaszthoryの文献でもそのような試験があったとの記述はない。Keyserは、電解質について『様々な解説者が様々な可能性を提案している』と述べ、自身も食塩水や硫酸銅水溶液といった酸以外のものについても実験している。ベンゾキノンも酸ではないので、酸が入っていたということがわかっていれば、そうした実験をする必要はない。よって、酸の存在を確かめたという実験が実際にあったか、両文献を読んだだけでは裏付けることができない。

また、腐食の痕跡について、「懐疑論者の祈り」のサイトでは、『ポットの底』に『腐食の痕跡(「液体が入っていた痕」というのは不正確)』があったとしており、『非電池説で、底にある腐食を説明できる具体的な仮説は他にない』としているが、これにはちょっと同意しかねる。

まず、KeyserとPaszthoryの文献にそのような記述はないし、「ポットの底の腐食の痕跡」を確認できる写真もない。写真を見る限り、銅の筒も鉄の棒もどちらも全体的に傷んでおり、とくに鉄の棒の傷みがひどい。

そもそも、水による腐食と弱い酸による腐食はどちらも似たような機構で起こるので、これらを区別できるかどうか疑問である。

銅よりも鉄の腐食が激しいのは当然のことで、それはなぜなら、鉄の方が錆びやすいからである。

中性水溶液中では、溶存酸素の酸化力によって進行する「酸素消費型腐食」が起こる。つまり、鉄原子は電子を放出し、2価の鉄イオンFe2+となって溶出する。一方、放出された電子により酸素が還元されて水と反応し、水酸化物イオンOH-が生じる。こうした腐食反応の結果、が生じる。(Fe2+は溶存酸素によってさらに酸化されて水酸化鉄(III)Fe(OH)3となって沈殿。時間の経過とともに、酸化水酸化鉄(III)FeOOHに変化し、錆層を形成)

つまり、錆びるという現象は、前述した弱い酸による電極反応と同様な機構で始まる。「非電池説で、底にある腐食を説明できる具体的な仮説は他にない」ということにはならない。

たとえば、以下の文献を参照。

でんじろう先生の再現実験

(1)と(2)の写真の「バグダッド電池の模型」はまあそれっぽい形をしている。ところが、プロペラを回すために使用されている電池は明らかに「バグダッド電池」と異なる形状をしている。

銅の筒は明らかに太く、鉄線を30本程度束ねたものが入っている。こうして電極の表面積を増やして、電流がよく流れるようにしているのだろう。また、ビーカーは密閉されておらず、ビーカー内の食塩水は空気に直接触れている。

しかし、それでも4つ直列につながないと、プロペラを回すことはできなかったのだろう。

(電池をつなぐのに、ワニ口が使われているのがおもしろい。電池をつなぐにも、それなりの道具があったほうが便利なことがわかる。当然のことだが、2000年前には電気モーターで回るプロペラも存在しなかったわけで、この実験では、当時いったい電池がどう使われていたかは見当がつかない)

どうやって電池を発明したか?

2000年前には電圧や電流を計測できる機械はなかったので、電池が本当に存在していたとすると、その発見や応用は人間の感覚に依存せざるをえなかっただろう。

古代ペルシャ人がどうやって電池を発見したかについて、Keyserは、酢の入った鉄の器でブロンズのスプーン(またはその逆)を使用していた時に、手や唇が器とスプーンに同時に触れれば、電気的な刺激に気づいたかもしれないという仮説を述べている。こうした経験に興味を持った人物が電池を発明するに至ったのかもしれない。

手で触って気づくのはちょっと無理があるかもしれないが、敏感な感覚の舌や唇ならば電気に気づくことがあるかもしれない。(なぜかKeyserは舌については述べていない。器を舌で舐めるのはお行儀が悪いと思ったのか?) ただし、Keyserも器とスプーンを使って、実際に電気の存在に気づくかどうか実験はしていないようだ。

ボルタの電池発見(1800年)のきっかけとなったのは、ガルバーニによるカエルの足の筋肉を用いた解剖学的な実験(1791年)であり、人間の感覚によるものではない。ただし、ズルツアー(Johann Georg Sulzer, 1720-1779)という人物による「亜鉛板と銅板の一端を接触させ、舌を挟むと刺激を感じる」という発見もあり、これと同じ現象を知ることがきっかけで、ボルタはガルバーニの「動物電気」説に異論を唱えるようになったらしい。

「電気史偉人典」の「ボルタ (Volta, Alessandro Giuseppe)」のページには、このエピソードについて以下のように書かれてある。

ガルバーニの論文発表当初のボルタは「これまで電気について知られていたことの何にもまさる大変な事柄で、正に大驚異というべきもの」と賛同していたが、2種類の金属を接触させて自らの舌にのせると、ときには酸、ときにはアルカリのような特殊な感覚が生じることに気がついた。動物に電気があるわけではなく、動物は検電器の役目になっていただけであったことを確認する。

『酸、ときにはアルカリのような特殊な感覚』とのことなので、もしかしたら、「刺激」というよりは「変な味」だったのかもしれない。実際、舌の上で電極反応が起こり、その結果生じたイオン等の味を感じる可能性もある。よって、舌の感覚で電池が発見される可能性を否定することはできないが、現実の発見に大きな役目を果たしたのはガルバーニの実験であり、異種金属をなめたときの感覚は、その補助的なものだったようだ。

なお、ズルツァーの発見については、以下の本により詳しい記述がある。

これによると、ズルツァーは1750年に「快、不快の味覚説」という論文を発表しており、これには以下のように書かれてあるとのこと。

二つの金属片(たとえば亜鉛と銅)をもって舌ではさみ、一端を接触させると、青インクの味にかなり近い味がするであろう。しかし、一つ一つの金属片単独では、この味の痕跡すらもっていない。さて、二つの金属をこのように結合したために、どちらかの金属に分解が生じ、分解された微粒子が舌に入りこむということはありそうなことではない。したがってこれらの金属の結合によって、微粒子に振動が起こり、舌の神経を興奮させて、ここにのべた味覚を引き起こしたと推論しなければならない

やはり、味のようではあるが、「微粒子の振動」は電気のことを言っているようでもある。

実際に、バグダッド電池レプリカ製作のために購入した銅の筒と鉄の薄板をテープでとめて、そのあいだに舌を入れてみたが、とくになにも感じなかった。(私の舌の感覚は鈍いのかもしれない。金属製のスプーンを舌の上に押しつけた感じに似てるかな?)

以下の文献を参照。

こういった本を読むとわかることだが、ボルタはもともと電気の研究家であり、摩擦電気や雷、生物の解剖という多枝にわたった研究と知識の積み重ねの上に、電池の発見が成立している。これに対し、ただ「2000年前、偶然に電池が発見されました」と言われても懐疑的にならざるおえない。

ボルタの電池

ここで、ちょっとボルタの発明した電池についてまとめておきたいと思う。(参考文献は、「電気を発見した7人」(岩波ジュニア新書))

ボルタの電堆(パイル、Voltaic pile)は、直径約1インチの銀と亜鉛の円盤のあいだに、塩水またはアルカリ水に浸した布を挟み、これを交互に30〜40枚積み上げ、これが倒れないように周囲に支柱を立てた構造をしている。つまり、これは直列構造をしており、「人が一番上の板に触れながら、片方を下の板につないだ導体に触れると、軽いショックを感じる」という感電を実感できるものであった。さらに、弱いながらも持続的に火花を発生させることもできた。

また、電堆を高く積み上げすぎると、金属盤の重みで圧縮され、布に染み込ませてあった液体が絞り出されてしまう。そこで、電堆を個別に積み上げて並列につないだものも制作している。

さらに、磁器やガラスの鉢に電解質と銀と亜鉛の電極を入れ、交互に鎖のようにつないだ「コップの王冠」も製作した。

「こうしてつくった起電装置(エレクトロモータ)の端と端に触れたとたん、その触れた皮膚と周辺に衝撃と刺痛を感じた。それを続けているとやけつくような傷みをおぼえ、ますます強くなっていった。最後に辛抱しきれなくなって、手を起電機からはなすと、やがて傷みは消えた。このことは電気流体が間断なく循環するということのあざやかな証明ではないか」とボルタは述べている。

また、多くの円盤を積み重ねると、大きな火花が発生し、面積の広い大きな金属盤のほうが電気ショックが大きくなるという電圧と電流の関係も発見している。

電気ショックや火花の発生が可能だったのは、電池をいくつもつないで電圧や電流を増大する工夫をしていたからである。

バグダッド電池の用途

バグダッド電池の中にどんな液体が入っていたか(いなかったか)は不明である。電池として使用された痕跡も発見されていない。送電用のケーブルやコードも見つかっていない。よって、現時点ではなにを言ってみたところで空想の域を出ない

電球や電信が当時存在したとは考えられないし、電気メッキに関しては電池説に肯定的な専門家も否定的である。当時はアマルガム法や金箔が使用されていたようで、電気メッキされた遺物が見つかったこともない。

金を電気メッキするためには、まず金イオンの溶液を作らねばならない。これにはシアン化金カリウム錯体がよく使用されるようだ。Paszthoryによると、アミグダリンを含有する果実を使用すれば、この物質を得ることは可能だったとのこと。

苦扁桃やモレロ・チェリーの実を砕いて水溶液を作り、これに醸造酵母を加えて発酵させ、濾過する。これに金の粉末を溶解すれば、目的のシアン錯体水溶液(金含有量:0.3〜0.4g/l)が完成する。これを用いれば、電圧0.7V、電流密度50mA/cm^2で、銀や銅の皿に電気メッキを施すことが可能だったとのこと。

ただし、これらの複雑な工程を電気化学の知識もなく偶然に発見することはほぼ不可能だったろうと考えられている。

電圧や電流を計測できるテスターもなかったわけで、用途はごく限られていただろう。呪術や医療に使用されていたという仮説が現在の主流なようなので、人間がどれだけその電気を感じられたか?(どれだけビリビリしたか?)が争点になりそうである。

なお、「懐疑論者の祈り」の『電池ではあったが、実用には至らなかった説』には説得力を感じない。 これならば、「電池でないもの」も「実用的でない電池」というごまかしが通用してしまう。

『さまざまな発明の過程に存在する似たガラクタはたくさんある』のかもしれないが、そんなものの数はたかが知れてる。それよりも汎用的に数多く作られたもののうちの一部が発見されるほうが確率的に高いだろう。そのほとんどは長い年月で失われたか、まだ埋もれたままなのかもしれない。「懐疑論者の祈り」のサイトに書いてある言葉を借りれば、『出土している個数が少ない』のは『発掘事態があまり進んでいない』からなのかもしれない。

むしろ、「発掘が進んでいない」のであれば、「証拠不十分でまだ電池とは言えない」というだけの話で、「調査が進めば証拠が出てくるかもしれないんだから、まだ電池でないとは言えない」ということにはならない。

壷の口がアスファルトで閉じられていたのは、傾けても内部の液体がこぼれないためのデザインだったとすると、なにか実用的な用途があったのかもしれない。もっとも、一度密閉してしまえば内部のものを取り替えることが難しくなるので、「使い捨て」的な用途だったのかもしれない。

電気を放つ怒れる神像

BBCニュースの記事では、以下のように推測している。

「私は、寺院でトリックが使われていたのではないか、といつも疑っていた」と、Craddock博士は述べている。「神の偶像に電線が取り付けられ、司祭が質問をする」

 

「もしも、答えを間違ったら、偶像に触ると弱い電気ショックを受ける。おそらく、小さい不思議な青い発光とともに。答えが正しかった場合、司祭または隠れた人物が電源を切り、電気ショックは起きない―そうすれば、偶像と司祭、その宗教のパワーを人は確信するだろう」

しかし、この説には信ぴょう性を感じない。まず、そのような仕掛けの施された偶像は発見されていないし、バグダッド電池をケーブルでいくつか繋いだ形跡も見つかっていない。なお、放電を起こすには電位差が必要なので直列、電気ショックには電流量が必要なので並列に繋ぐ必要がある。

この記事の最後のほうには、以下のような文章もある。

もし、電流が本当にショックをもたらすには不十分だったとしても、それは暖かく感じられるかもしれない。疑いを抱いていない者の指が触れると、不思議なチリチリ感をもたらすかもしれない。

つまり、本当に十分な電気ショックや発光が起こるかどうか、この文章を書いている人物もわかっていないということである。「暖かく感じ」たり「チリチリ感をもたらす」と主張するのであれば、実際にそういうことがありうることをレプリカを使って示すべきだろう。口先だけの空論を述べる人物は、学者としての資質を疑わざるを得ない。

そもそも、静電気を知っている人なら、金属製の偶像に触って多少ビリッとしたからといって、そんなに驚いたりしないだろう。暗闇なら静電気による発光が見えることも、そんなに珍しくない。ただし、現代人は底がゴム製の靴を履いており、靴が絶縁体となり、帯電しやすい。BBCニュースの記事でも静電気の放電(static discharge)について言及はしているが、古代ペルシャ人がどの程度静電気を知っていたかは述べていない。

サイト「静電気対策ガイド」の「静電気の電圧」によると、車のドアノブ等に触れてビリッとした時の電圧は3000Vとされている。

摩擦電気については、BC600年ごろに古代ギリシャの哲学者ターレス(Thales)らが、琥珀を毛皮でこすると塵が引き寄せられることを記述している。ドイツのゲーリッケは、1663年に、硫黄球を回転させることにより静電気を発生させ、「摩擦起電機」を発明している。静電気を貯めることのできるライデン瓶Leyden jar)は、ガルバーニとボルタによる電池発見以前に発明されている。

つまり、異種金属の組合わせで発生する動電気よりも、摩擦等で発生する静電気のほうが昔からポピュラーだったのである。

ライデン瓶は貴族の遊び道具にもなり、国王への見世物として、手を繋いだ180人の兵士を、電気ショックでいっせいに飛び上がらせることにも使われた。日本においてもエレキテルを用いて同じような見世物が行われていた。

静電気では、微量な電流が一瞬流れるだけだが、電圧は桁違いに大きい。発光をともなう強い放電を起こすにはたくさんのバグダッド電池を直列につないで電圧を上げる必要がある。

BBCニュースの記事は、戦火に見舞われたイラクの遺跡を保護しようというキャンペーン記事であり、一般の注目を集めるために、オーパーツとして有名なバグダッド電池がダシに使われたというふうにも読める。この記事に登場する学者はいいかげんなことを言う前に、バグダッド電池をいくつ繋いだら、信者を驚かせるほどの電気ショックを起こすことができるか真面目に検証すべきだろう

もし、電池が大量に必要な用途に使用されていたとすると、一箇所から大量に見つかってもいいと思うが、実際は(電池かどうかわからないものも含めて)最高で4個か6個程度である。しかも、電池をつないでいた形跡も見つかっていない。

BBCニュースの記事には、以下のようなおもしろい文章もある。

大部分の考古学者は、この装置が電池だということに合意しているが、どうやってそれが発見されたか、何に使われていたか、については、多くの推測がある。

いったい、なにを専門とする考古学者が、なにを根拠に、「電池だと合意」しているのだろう?現状では証拠や情報が少なすぎる。どうやって発見されたかも、なにに使われていたかもわからないのに、なぜ電池だと言えるのか?

電気療法に使われていた?

Keyserは、当時、鍼灸は中国ですでに知られていたので、針などに通電し、鎮痛などの電気療法に使用されていたのではないか?という仮説を述べている。

さらに、古代ギリシャでは、頭痛や痛風の鎮痛のため、シビレエイ等の電気を発生させる魚が利用されていたことについても述べている。砂浜の波打ち際でblack torpedo fishを足の下に敷き、足を痺れさせることが痛風の鎮痛に利用されていたらしい。ペルシャ湾やチグリス・ユーフラテス系にはこうした魚がいないので、代わりにバグダッド電池が使われていたのではないか?といった仮説を立てている。

ただし、鍼灸と電気療法を組み合わせていたというのも証拠がないので憶測の域を出ないし、バグダッド電池の発電力がシビレエイに比べてどの程度なのか、定量的な比較を行っているわけでもない。

なお、ヨーロッパでも電気を使った療法は古くから存在し、電池が発明される前は、ライデン瓶が「電気治療」に使われていたとのこと。ライデン瓶は瞬間的にものすごい電力を発生させるので、たしかにこれはなにかに効きそうだ。電池が発見されたあとには、電池も電気治療に使われていたが、この場合、2つのコイルを利用した電磁誘導により、威力を増幅していたらしい。電気治療には、弱い電気よりも強い電気が好まれていたようだ。

日本においても、佐久間象山が「スコック・マシネ」という電気治療器を使っていた。この装置は、束ねた鉄の棒に、太さの違う2つのコイルを巻きつけた形状をしていた。太い導線で巻かれた1次コイルに電流を流し、細い導線の2次コイルに電磁誘導された電流を起こす。1次コイルの電源スイッチの開閉をすばやく繰り返すことによって、電磁誘導で増幅されたビリビリ感を患部にもたらしていたようだ。こうした装置で電気ショックを感じるには、最低で30〜70mAの1次電流が必要だったとのこと。

以下の文献を参照。

口でくわえてビリビリ

また、春田晴郎氏は自身のブログで『口でくわえてビリビリ、という呪術医療に用いていたのではないか、と私はとりあえず考えています』と述べている。たしかにこのような使い方なら、ケーブルやコードを必要としない。しかし、逆の言い方をすれば、ケーブルやコードなしではこういう使い方しかできないということだろう。

痛風ならシビレエイを足の下に敷くのはたしかに効きそうな気もするが、電池をなめることがいったい何の治療になるのか。この場合は、頭痛を想定しているのだろうか?

実際に銅と鉄で作った電池(電圧0.5V、電流1mA)の両電極に同時に舌を当ててみたが、私はとくになにも感じなかった。ただし、「超常現象の謎解き」のサイトには、以下のように書かれてある。

カイザーは舌で感じるなら0.5ボルトで十分としている。前出の「怪しい伝説」の実験では、舌で触れると0.3ボルトでビリビリ感を得られたとしている。

舌の感覚に個人差があるのかもしれない。ただし、Keyserの論文にそのような記述は見つけられなかった。Keyserは電池の発見について、酢の入った食べ物を鉄とブロンズできた食器を使って食べたとき、口等が両金属に同時に触れれば、電気的な刺激に気づいたかもしれないという仮説を述べているので、この話を勘違いしているのかもしれない。

「怪しい伝説」は見ていないのでなんとも言えないが、0.3ボルトは相当弱い。上記したように私自身はレプリカの0.5ボルトではまったくビリビリしなかった。

市販品の9Vの電池では強いビリビリ感を感じる。(9V電池は+と−の電極が同じ方向を向いているので、なめてみたことのある人も多いのではないだろうか?) 1.5Vの単1電池の両極にコードをつないで同時になめてみると、たしかに弱いビリビリ感があるのでこれなら気づく人もいるかもしれない。これより弱いと「変な味がする」ぐらいにしか思わない可能性もある。

そもそも、舌は味を感じる器官である。バグダッド電池によって弱いビリビリ感が発生したとしても、それをなにかの味だと思うかもしれない。(前述したように、舌の上で電極反応が起これば、発生したイオン等の味を感じる可能性もある)人は、変な味がするだけの壺にそれほど神秘的なパワーを感じるものなのだろうか?

前述したように、単1電池でもテスターの最大300mAの目盛りを振り切るほど電流が流れるので、0.3ボルトしかないレプリカで、ビリビリ感が得られたとしても、かなり弱いものだろうと予想される。

春田氏には是非レプリカを使った検証実験を行い、その上でまた感想を述べていただきたいと思う。

その他の使い方を考えてみる

ちなみに、私は電気を利用するのではなく、容器内部に入れた液体に変化をもたらすための道具ではないか?と考えてみた。電極反応で溶出したイオン等により、バグダッド電池の壺に入れられた水や果汁の味を変化させるとか… 実際に味を確かめるわけにもいかないので、実験はしてはいない。あまりおもしろいアイディアではなさそうだったので、すぐに考えるのをやめた。

電池一個で火を起こすことができるらしい。使い方としては、「口でくわえてビリビリ」なんかよりもこっちのほうがはるかに実用的だろう。ただし、バグダッド電池の起電力でこれが可能かどうかは確認が必要。もちろん古代ペルシャ人がこんな使い方を思いついたかどうかなんて、今のところ誰にもわからない。

バグダッド電池の構造

Paszthoryの文献によると、バグダッド電池の類似遺物は全部で12個あり、そのうち11個の形状に関する記述が「超常現象の謎解き」のサイトにある。PaszthoryとKeyserの文献にも同じ写真が掲載されている。本城達也氏にお伺いしたところ、『残りの1つは、ハトラ近くのパルティア時代の地層から見つかったとされる真偽不明の遺物です。これは写真や寸法など、詳しい情報が見つからず、未だに報告はないと書いている論文もあって検討しようがなかった』とのこと。

よって、確認できる電池類似遺物は3ヶ所から出土している。

  1. フユート・ラッブーア(Khujut Rabou'a)から出土した1点:これが、いわゆるケーニッヒ(Wilhelm König)の報告した「バグダッド電池」。
  2. セレウキア(Seleucia)(テル・ウマル, Tel Umar)で発見された4点:ケーニッヒの「バグダッド電池」によく似た形状をしている。
  3. クテシフォン(Ctesiphon)から出土した6点:うち5つは水差し状の形をしており、「銅の筒」が1個、3個、10個入ったものが見つかっている。中には、頭部にリングのついた鉄製のピン(有機物で覆われていた)が10個入っているものや、小さな鉛の板が10個入っているといった、バグダッド電池とはまったく似ていない遺物も見つかっている。

これらについて、「超常現象の謎解き」のサイトには以下のように書かれてある。

さて、上に紹介の3ヵ所から見つかった遺物が、バグダッドの電池を論じる上で前提となる遺物である。見比べてもらえればわかるとおり、クテシフォンの遺物は銅の筒が複数入っていたり、リング状になった鉄の釘がひとつの壺からまとまって出てきたりと、他との違いが目立つ。

 

そのためバグダッドの電池について考察している東海大学の春田晴朗教授などは、フユート・ラッブーアとセレウキアの遺物は電池の可能性がある一方、クテシフォンの遺物は何らかの関連性は持つものの、道具箱のような用途に使われた可能性を論じている。

 

確かにクテシフォンの遺物を電池として考えるのは難しいところだ。とはいえ春田教授が論じているように、類似点はあっても相違点の方が大きい発掘場所の違う遺物をまとめて扱うべきではなく、クテシフォンの遺物が電池の可能性は低いからといって、他も同列に扱うべきではないだろう。その点は注意しておきたい。

つまり、クテシフォンの遺物については『類似点はあっても相違点の方が大きい発掘場所の違う遺物をまとめて扱うべきではない』としている。しかし、これはいささか主観的な意見のようにも思える。うがった見方をすれば、「電池説に不都合なものは除外すべき」と言っているようにも聞こえるからだ。

「類似点」と「相違点」があるというのであれば、それぞれを細かく検討すべきだろう。

クテシフォンで見つかった遺物(D)『取っ手付きの壺』には『銅の筒が1個』入っていたので、バグダッド電池の形状に似ている。(とくにセレウキアで見つかった4つの壺のうち、2つには取っ手が付いていたので、よく似ているのではなかろうか?) つまり、クテシフォンの遺物すべてに『銅の筒が複数』入っていたわけではない。

高さ約21センチの遺物(A)には、10個の筒が入っており、高さ約21センチの遺物(B)の中には3個、高さ約17.5センチの遺物(C)の中にも3個、高さ約10.5センチの遺物(D)の中には1個入っていた。ということは、容器の大きさによって、中に入っている筒の数が違っているようにも見える。つまり、いろいろある類似遺物のうち「たまたま電池のように見えるものがいくつかあった」というふうな見方も否定できない。

そもそも、古代ペルシャ人が作った電池が、現代人がイメージする電池の形状に似ている必然性があるのだろうか。ボルタの作った電堆は、現代の電池のような外観はしていない。

また、セレウキアで4つも電池類似遺物が見つかっているのに、これらをつなぐケーブル等が見つかっていないということは、古代ペルシャ人には、電池をつなぐという発想がなかったことを思わせる。

これに対し、ボルタの発明した電堆や「コップの王冠」は、当初から直列つなぎの構造をしていた。そうして電圧を上げねば、電気を実感するのが難しかったのだろう。

中に鉄の棒が入っていた遺物はいくつあったのか?

「巻物保存説」に関して「超常現象の謎解き」では以下のように述べている。

また鉄は錆びやすい。錆びれば色写りも起こることから、巻物を保存する目的では用途に耐えなかったはずだという指摘もある。

春田晴郎氏はブログで以下のように述べている。

そして、最も重要なのは、大事な呪文を鉄と接するような状態で一緒に保存することは考えられないことです。

ところが、リストを見る限り、「銅の筒」内部に鉄の棒が入っていたという記述があるのは、フユート・ラッブーアの遺物のみなのである。セレウキアの遺物については、『壺の近くには鉄と銅の棒(長さ約15〜25センチ)』が見つかっているが、銅の筒内部に差し込まれていたわけではない。(Paszthoryの文献によると、4つの壺のうち、3つは倒れた状態で発見され、それぞれ最高で4本の金属棒が周囲の地面に差し込まれていた。それぞれの遺物につき、一本は鉄で残りはブロンズ製だったとのこと)また、フユート・ラッブーアの遺物には、パピルスのような植物繊維物質が入っていたという記述はない。つまり、この理屈だと、鉄の棒が差し込まれていなかった銅の筒を含む遺物については、「巻物保存説」を否定できないことになる。

ただし、春日氏は『パピルスはエジプトの産物で、当時エジプトを支配していたローマ帝国では使われますが、サーサーン朝ではまず使用されません』とも述べているので、これで巻物だと断定できるわけでもないようである。ただし、春日氏のコメントでもあるように、パピルスは当時すでに存在していたようである。「サーサーン朝では使用されていなかった」とはいえ、当時存在していたものを否定し、存在しなかっただろう電池であるという説を支持するという春日氏の態度は、素人目には奇異に写る。紙の代わりに布や革を使用することも可能だろう。

Keyserは、電池の寿命が短かったので、使用時にのみ鉄の棒を入れたのだろうという説を述べている。しかし、「使用時にのみ液体の電解質を注ぐ」という使い方もできるので、必ずしも鉄の棒を出し入れする必要はない。むしろ、こぼれてしまう可能性のある液体は使用直前まで入れないという使い方のほうが合理的かもしれない。

つまり、電極が両方そろっていない遺物については電池と考える必然性がないので、電池らしい形をした遺物は、フユート・ラッブーアの遺物のみとなる。

電極の形状

「超常現象の謎解き」の遺物の写真は、KeyserとPaszthoryの文献に掲載された写真と同じものである。クテシフォンの遺物の写真の引用元は、春田晴郎氏の「いわゆる『パルティアの電池』に関する予備的再考察」という文献なので、春田氏も同じ写真を使いまわしているのだろう。

これらの写真を見ても、壺の口の部分がどういう形状をしていたのかよくわからない。とくに、フユート・ラッブーアの遺物については、鉄の棒、銅の筒、ビチュメン(炭化水素化合物の総称、アスファルト等)、壺に分離された写真しかないので、これらがどういう形で組み合わさっていたか、細かいことはわからない。Paszthoryの文献には、1978年に展示されたときには既にアスファルト部分は失われていたという記述もあり、その部分が実際どのような形状をしていたのか、もう永遠にわからないかもしれない。

電池であるならば、両電極は入れ物の外に突出し、用途に応じて、ケーブルにつなげやすい形状や舐めやすい(?)形状をしていなくてはならないだろう。Keyserの文献には、銅と鉄の両方がアスファルトの上に突出していたとの記述がある。Keyserの文献には、ケーニッヒの文献から引用したバグダッド電池の断面図(Fig.4)が掲載されている。これを見ると、鉄の棒の先端はアスファルト部分から突出していたようだが、なんらかのコーティングがされていたように書かれてある。しかし、銅の筒に関しては微妙であり、本当にアスファルト部分から突出して外に出ていたか、よくわからない。

フユート・ラッブーアの遺物の写真を見ると、アスファルト部分は粉々に砕けた状態にある。発見当初から砕けた状態だったのだろうか?それとも発見後に内部を調べるために誰かが砕いたのだろうか?ケーニッヒの断面図は実物どおりに描いたスケッチなのだろうか?それとも一部は想像で描いた「復元図」なのだろうか?バグダッド電池は本当はどんな形をしていたのだろう?

壷の開口部は3.3センチであるのに対し、銅の筒は直径2.6センチということなので、どのように固定してあったか、知りたいところである。このアスファルトがどれだけ頑丈なものかわからないが、銅の筒は壺の口からぶら下がった構造をしており、上から叩くと、鉄の棒ごと壷の中に落ち込んでしまいそうだ。壺の口からぶらさげるという構造はあまり頑丈そうに見えない。破損しやすかったのではなかろうか。

そもそも、電池であるなら、銅を筒状にする必然性も壷の口からぶら下げる必然性もないように思われる。どちらの構造も電池の性能とは無関係だろう。

セレウキア(テル・ウマル)の遺物については、Keyserの文献に、壷の上部が写った写真が掲載されている。ビチュメンと思われる部分はいびつな形をしており、穴がいくつか開いているようにも見えるが、銅の筒が外部に突出しているかどうかまではわからない。

セパレータが入っていたのか?

春田晴郎氏は自身のサイトで、以下のように述べている。

銅の筒内で見つかった植物繊維は、電極がショートしないように挟み込んだもの(セパレーター)と考えれば、むしろ電池説を強める証拠です。

春田氏が参考に挙げているのは、以下のサイトである。

ここでは以下のように書かれてある。

紙と青銅を巻いたようなものも発見されているようだが、単に呪文を書いた紙を収めるだけなら青銅の裏張りなど必要なく、むしろ青銅製の電極と電解液を含浸させたパピルス紙セパレーターを、集電材としての鉄心に巻きつけた構造と考えたほうが自然ということになる。ただし、電極材料としては青銅のような合金材料よりは純銅製の電極のほうが適切なので、青銅が巻かれていたというのはやや具合が悪い。しかし、製造当時は銅箔とスズ箔が紙セパレータを挟んだ対向構造になっていて、歴史的時間のうちにアノード材のスズが完全に溶出し、さらに電解液の喪失に伴ってカソード材の銅箔の表面上に析出したため、化学分析の結果として青銅(銅とスズの合金)の一種と判定されたのかもしれない。

ここでは「円筒状ニッケル水素電池」で一般的な内部構造である『電極とセパレータを巻物のように心棒に巻き付けた形状』を念頭に置いているらしい。しかし、そのような構造はバグダッド電池については発見されていない。そこで、『歴史的時間のうちにアノード材のスズが完全に溶出』して消失したという仮説を立てている。しかし、これも憶測の域を出ない。スズがアノード(陰極)だったというのはオリジナルの新説だろう。

電池の電力は、電極表面の化学反応によって起こるので、表面が広いほど反応は多く起こり、電流値も上がる。しかし、表面の広い電極を狭い容器に閉じ込めようとすると、+と−の電極が接触してショート(短絡)してしまう可能性も高まる。そこで電極同士が接触しないように、電極のあいだに電解質が浸透する絶縁体(セパレータ)を挟んでサンドイッチ状にする。これを丸めて容器に入れれば、限られた体積中で大きな表面積を得ることができる。

しかし、陽極と陰極が離れて固定されていて、接触の可能性がなければ、わざわざセパレータを挿入する必要はない。

フユート・ラッブーアの遺物については、長さ: 9.8 cm、直径: 2.6 cmの丸められた銅シート内に、長さ:7.5 cmの鉄の棒が、アスファルトの栓から吊り下げられていた。銅の筒の底は、底は銅の円盤で閉じられ、厚さ0.3 cmのアスファルトで覆われていたていた。

Keyserは、この一見なんの役に立っているかわからない厚さ0.3 cmのアスファルトを、鉄の棒が銅の底と接触しないようにしていたのではないか、と考えている。ならば、わざわざ植物繊維をセパレータとして入れる必要もないだろう。

バグダッド電池の現状

現在、バグダッド電池がどうなっているのか、情報は少ない。「Bad Archaeology」の「The ‘batteries of Babylon’」によると、2003年のアメリカ合衆国とその同盟国による侵攻の際、バグダッドのイラク国立博物館から略奪された物品の中にあり、現在どこにあるか、現存しているかは不明であるとしている。

まとめ

壷の中に2種類の金属が入っていたからといって、それを電池と断定できるわけではない。そもそも、確認できた11個の遺物のうち鉄と銅が両方とも壺の中に入れられていたという記述のあるものは、ただ1つしかない。

バグダッド電池の場合、中に電解質を入れれば、たしかに弱い電池として機能する。しかし、電解質が入っていたという証拠はない。銅よりも鉄のほうが腐食しやすいのは当たり前の話であり、2千年のあいだに経年劣化したのだろう。

鉄の棒が入っていなかった遺物については「使用時にのみ鉄の棒を挿入した」という主張もされている。しかし、使用時のみに電解質を注げばいいだけの話なので、両極がそろっていない遺物を電池とみなす必然性はとくにない。

また、壷の中に入っていた銅の筒の数も、容器の大きさに応じて、1つ、3つ、10つと変化しており、1個しか入っていないものがたまたま電池のように見えただけなのかもしれない。現代人は電池がどういうものか知っている。そのため、先入観(バイアス)が生じ、電池のようなものを見れば、電池と思い込む可能性もある。

たとえ、電池であったとしても、銅と鉄の電極から期待される電圧の理論値は0.8V程度であり、実際は電気化学的分極のため、これより低い値になる。レプリカを使った再現実験では、0.5V以下、数mAの電力である。これは単1乾電池の性能よりも劣り、バグダッド電池1個だけでは、たいしたことに利用できない。

ところが、電池を直列や並列につないでいた形跡は発見されていないし、電池として使用されていた形跡も見つかっていない。

そこで、「実用的なものではなかった」とか「なめる儀式に使われていた」という仮説が登場する。しかし、実物を見たこともない、発掘もしてない、再現実験もしてないじゃ、お話にならないだろう。「電池ではあったが、実用には至らなかった説」などと言い出したら、「電池ではないもの」も「実用的でない電池」で通用しかねない。

それならば、「電池ではなかった」という仮説にも十分説得力がある。現時点では電池と断定できる十分な証拠は揃っていない。

レプリカを使った再現実験にも限界がある。再現実験では「どういう使いかたが可能か」ということはわかるが、実際そのように使われていたとは限らない。結局、発掘調査によって、実際にどう使われていたか確認するしかない

今後の調査・発掘に期待するが、ケーニッヒの文献は1938年のものであり、その後、発掘調査は70年以上なんの進展もない。今後、進展が本当にあるのか、疑問である。現地が紛争状態で、危険で発掘などできないという主張もできるだろうが、長年放置されたままであるということに変わりはない。

「電池である」と断定的な書籍

電池発見の歴史について調べてみようと思い、図書館に電池に関する一般向けの書籍を見に行ったら、驚いたことに、バグダッド電池を「電池である」と断定的に書いた本がけっこうあることがわかった。電池であるとまだ確定していないのに、「電池である」と断定してしまうのはちょっと問題だろう。

高校教科書『物理機戮謀仂譟

東京書籍の高校教科書『物理機戮法▲丱哀瀬奪錨澱咾^^; 「可能性がある」という書き方ではあるものの、かなり電池であると匂わせてるなあ

これによると、「もしも電池だとしても何の目的に使われたのかは明らかではない」としつつも、「めっきに用いられたとする考えもある」と紹介している。

しかし、発掘調査も進んでいないのだから教科書に載せるほどの話ではないだろう。どうしても載せるのであれば、せめて「めっきに用いられたとする考えもある」の部分は削除して書きなおす必要がある。教科書に載せるのは電池であると確定してからでも遅くはない。

なお、春田晴郎氏はこの件について、以下のように反応している。

↓2RTs 化学ではなく物理ねぇ。教科書に載せるのはさすがにちょっと大胆な気がする。ふつうに琥珀と磁石では駄目なんかな。

琥珀と磁石じゃインパクトがないんでしょ。

事典 古代の発明―文化・生活・技術」 

ピーター ジェームズ (著), ニック ソープ (著), Peter James (原著), Nick Thorpe (原著), 矢島 文夫 (翻訳), 東洋書林 (2005/12)

バグダッド電池で金属メッキしてたとか書いてある本。電池作るのにもそれなりの電気化学の知識はいるし、金属を電気メッキするのにはさらに高度な知識が必要になる。そういった点を十分考慮せずセンセーショナルに「2千年前に電池が存在した!」等と喧伝するのは、歴史修正主義もいいところだ。

「電気メッキの秘密は油断なく守られ、決して書いた形で直接に伝えられることはなかった」等と書いてあるが、「秘密だったから証拠はない」みたいな反証不可能な主張は無意味である。

安直に「1.5ボルトの電流を生み出した」などと書いてあるのも、電池に関する知識に乏しいことを露呈している。何度も言うが、鉄と銅を電極とする「電池」単体でこの電圧を生じさせるのは理論的に不可能。

この本には「コロラド大学のポール・カイザー」が「電気魚の代わりとして局部麻酔にバビロニアの医師たちが使った」という説を唱えているとあるが、これはおそらく誤訳で、「沈痛作用に使った」というのが本当のカイザーの説。しかし、「バグダッド電池」1個ではそんな使い方は当然できない。それなら、何個つないだら「電気魚の代わり」になるくらいの電力を発揮できるか?というと、これも確認していないので机上の空論に過ぎない。

この本によると、「ロンドンにある科学博物館の物理学者ウォルター・ウィントン」なる人物が、「このような電池を数個連続してつなげれば、ベルを鳴らしたり、電球に明かりをつけたり、小さな電気モーターを動かしたりするには十分な電流が生じるだろう」と述べているが、当時、電球はおろか、電動ベルもモーターも存在しなかった。これではいったいその電池がなにに使われていたのかまったくなにも言っていないに等しい。

さらにウィントンは、その物体が電池であったことは「まったく明白で完全に信じるに足る」ことであると述べたと書かれてある。しかし、電池としての性能を定量的に確かめもせず「見た目が電池だから電池」的な主張をする人物は相手にしないほうがいい。(「懐疑論者の祈り」というサイトの「バグダットの電池」の項目には、ウィントンが「どうみても電池なんだよな」と報告したという記述がある)

電池の話

平井 竹次、高橋 祥夫 著、裳華房 (1989/05)

これはホーヤットラップア電池またはバグダッド電池と呼ばれ、今のところ最古の電池と伝えられている。

用途は指輪、腕輪、首飾りなどの金めっきや銀めっき用の電源ではないかという説が有力である。

上述したように、電池説に肯定的な専門家でさえ、電気メッキ説には否定的である。

この電池の完成に至るまでにも、いろいろな材料が正負活物質や電解質として試みられたと想像される。それ以降も、さらによい電池を求めて努力が積み重ねられたことであろう。

これは裏付ける証拠がないので、今のところ想像の範囲を出ない。

残念なことに、19世紀に至るまでの電池についての記述は、今のところ発見されていない。したがって、バグダッド電池の技術がいつごろまで継承されたのかも明らかでない。

それを言うんだったら、「本当に電池かどうか、今のところ明らかではない」 だろう。

図解雑学 電池のしくみ」 

(図解雑学シリーズ) ユニゾン 著、ナツメ社 (2004/03)

この本はとくにひどい。

p.68の「世界最古の電池」には、以下のように書かれてある。

電池の歴史が語られる際によく話にでるのが世界最古の電池と言われる「バグダッド電池」だ。

今から約2000年前のペルシャ時代に使われたものだといわれている。

電圧は0.9ボルトから2ボルト程度だったらしい。

上述したように、バグダッド電池1個の起電力は0.78V以下にしかならない。

これは一体何のために使われたかというと、どうやら金製品のメッキに使ったようなのだ。

現在ではメッキするために使った世界最古の電池として知られている。

ここでもまた電気メッキ説まで肯定している。

しかし、この電池はその後、ペルシャ世界に広がることもなく電池の歴史は19世紀まで途絶えてしまうのだ。

p.70の「動物電気が電池発明のきっかけ」にはさらに次のようなことも書かれてある。

バグダッド電池以降、4000年近く、電池は人類に忘れ去られていた。

2000年を4000年と書き間違えている。

さらに、ガルバーニボルタによる電池発見については以下のように述べている。

バグダッド電池から忘れ去れた電池の原理の再発見だったのである。

(原文ママ)

ガルバーニとボルタの発見は、近代電気科学の発展に絶大な貢献をしたわけで、たとえバグダッド電池が本当に電池だったとしても、決して軽んじられていいようなものではない。

この本のほかの箇所もこんな調子で書いているのならば、この本を読んで電池の勉強をするのはお薦めしない。

電池がわかる本

(なるほどナットク!)  内田 隆裕 著、オーム社 (2003/07)

こちらでは以下のように書かれてあるので、中立の意見である。

しかしその一方で、本当に電池だったかどうかを疑う説もあり、はっきりしたことはわかっていません。

ところが、以下のように書かれてあり、やはり電池の起電力についてちゃんと調べていないようだ。

この電池が起こす電圧は、1.5V〜2.0V程度であったと推測されています。

バグダッド電池1本でそんな電圧は出ない。 直列にしたというのなら、直列で何個繋いだ場合か、ちゃんと書くべきだろう。

バグダッド電池の登場するサイト

第4回 初期人類に高度な文明? 白公山の鉄パイプ」 

ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 こうしたオーパーツ(場違いな人工物)と呼ばれる遺物は世界中に数多い。しかし、たいていは科学的に(場違いでないことが)説明可能で、誰かが作為的にミステリー仕立てにしたものが多い。有名なバグダッド電池(紀元前後に栄えたパルティアの遺物。金メッキに使われた初期の電池ではないかといわれている)も、最近は、本当はただの書類保管用の壺だったという見方が強い。

ここでは「金メッキに使われた初期の電池ではないかといわれている」と言いつつも、「本当はただの書類保管用の壺だったという見方が強い」としている。

めっき豆知識 バグダッド電池とメッキ

KIYOKAWA めっき教室

イラクの首都バクダット郊外のホイヤットラブヤ遺跡とういところから発掘された「つぼ型の電池」は、約2000年以上前のものである。

いや、だから、電池だったという証拠は見つかっていないので…

この電池を作ったのは古代パルティア人で、 銅と鉄と果実(酢やブドウ酒)が使われたものと想像します。この電池を使って、金銀の装飾品のメッキをしていたとされています。

いや、だから、いったいなにを根拠に古代パルティア人とやらが電気メッキしていたとわかるのでしょうか?

これは、1800年にイタリアの物理学者ボルタが発明した人類最初の電池と同じものであり、またアメリカの電気技術者グレイによって1.5ボルトの電気が発生することが分かった。

いや、だから、バグダッド電池一個から1.5ボルトの電気を発生させるのは不可能だから。

電池のこれまで 

Sony Marketing (Japan) Inc.

一般的に電池は、18世紀後半に発明されたといわれていますが、バクダッドにあるパルティア遺跡から奇妙な壷が発見され、これは約2000年前のもので電池と同じしくみをしていると考えられています。「バクダット電池」と呼ばれているこの世界最古の電池は、レプリカ作成により約5ボルトの発電ができると実証されたのですが、2000年もの昔、何に使用されていたか、その目的ははっきりしていません。

「約5ボルトの発電ができると実証された」? なにを根拠にそんなことを言っているのだろう?バグダッド電池一個では不可能な電圧。また、バグダッド電池が直列につながれていたという証拠もない。

原理の発見

やさしい電池の歴史、電池なるほどアカデミー、エナジー社

世界最古・つぼ型電池 「バグダッド電池」

イラクの首都バグダッド郊外(こうがい)のホイヤットラブヤ遺跡から発掘された「つぼ型電池」。約2,000年以上前のもので、電気をおこすため(電池)ではなく、金銀のメッキのために使われていたものと考えられています。電圧は1.5〜2ボルト、電解液が何でできているのかは、はっきりとわかっていませんが、酢やブドウ酒などが使われたものと想像されます。

歴史的に一番古い電池はどんな電池ですか?

電池工業会

2000年以上前に作られた「バグダッド電池」と呼ばれる電池で、バグダッド(イラクの首都)郊外こうがい のホイヤットラブヤ遺跡いせきから発見された「つぼの電池」です。

この電池は、電池本来の役割を果たしたのではなく金銀の装飾そうしょく メッキ用に使われていたと考えられています。