ピラミッド:用途編
進化編でも触れた通り、ピラミッドはマスタバから進化したように、王墓であることに殆ど疑いはない[1]。
しかし「明らかに墓などではない」という話はいつの世でも流れているようだ。「もっと神秘的な用途に使われていた」というのが、そのような主張の結論である。
「墓ならこんなに大きなものを作る必要がない!」等といったような話は、墓として認められている日本の仁徳天皇陵[2]や秦の始皇帝陵と付随する兵馬俑に見るように、ほとんど意味のない反論だと言える。
解説に値するような根拠はどんなものがあるだろうか?エジプトの実情を知らない人にとっては「ピラミッドから埋葬された王が見つかったことがない。」という事実は、最も強力な根拠に見えるのではないだろうか?
しかし、研究者の間ではこの事実が謎だとは考えられていない。
なぜ、ピラミッドから埋葬された王が見つかったことがないのか?その答えは墓荒らしの横行にある。
つまり、エジプト文明のほとんどの王の墓は墓荒らしに荒らされ尽しているのである。
ツタンカーメン(そしてツタンカーメンの墓)があれほどまでに重要視され有名なのは、ミイラも副葬品も墓荒らしの被害にあっていないからなのだ。
“ミイラも副葬品も手付かず”という特徴だけで「世紀の大発見」になってしまうほど、墓荒らしはエジプト文明の墓を荒らしつくしたということである。
第六王朝のイプウェルが記したパピルス文書に「イプウェルの訓戒」というものがある。そこでイプウェルは「貧しい男たちによって、王は奪い去られた。ピラミッドに隠されていたものは何もなくなった。」と記している。
イプウェルは墓荒らしの被害は、ピラミッドも例外でなかったことを明記している。
このように、ピラミッドに王のミイラや副葬品が見つからないことは“謎”とは呼べないようなものなのである。